2011/12/07
12月2日(金) 浦和コミュニティセンター 主催:内閣官房番号制度については、拙速に国会で審議されようとしているが、社会保障のためになぜ番号なのかと疑問を投げかける人は少なくない。
そんな中で、共通番号制度に対する国民理解を深めようという内閣官房主催の全国リレーシンポジウムが、各地で開かれている。
先日、浦和でも開かれたので参加してきた。このシンポジウムも国民対話と謳われていても、平日の昼間に参加できる国民がどれほどいるのか。200人ほど集まった人たちは、ほとんどが背広姿。
登壇者は以下のとおり
開会と閉会挨拶 峰崎直樹(番号制度創設推進本部事務局長、内閣官房参与)
主催者挨拶 石田勝之(内閣府副大臣)
政府説明 向井治紀(改革官房社会保障改革担当室審議官)
特別講演 森信茂樹(中央大学法科大学院教授)
パネラー
久保 章 (関東信越税理士協会副会長・埼玉県支部連合会会長)
根岸茂文 (埼玉県経営者協会専務理事・事務局長)
平原 興 (弁護士)
向井治紀 (改革官房社会保障改革担当室審議官)
コーディネーター 石野栄一(埼玉新聞社編集局長)
明確な反対論の平野弁護士 過去のシンポジウムでは、パネラーの人選に偏りがあると批判されていたこともあるようで、番号制度に反対の立場として日弁連から平野興(こう)弁護士が参加した。賛成派の発言は、あらためて聞いても、特に目新しいものはない。注目はやはり、平野弁護士だった。
平野興弁護士は、日弁連とは、別に個人の意見としての発言した。以下要約。
医療や介護の分野でも、医療費がどのくらい、どこで、どの病気に使ったのか。また
何の情報をどこまで、情報連携の中に載せていくのか、活用範囲が広がれば、同時に人権侵害のリスクも広がる。
大綱では医療の質の向上も謳われているが、そうなるとカルテを載せるところまで、広がってしまう。しかし現実にできるかと云えば、電子カルテの導入状況から見ても無理だ。
そもそもカルテが他人の目に触れるかも知れないというリスクがあると、病院に行けなくなる人が出てくるという、という深刻な問題もでてくる。
扱う情報の範囲が変われば、活用の可能性と人権侵害のリスクも広がってくる。そこをはっきり見極めた上での議論がなされないと駄目だ。
もう一つは、この番号制度は、どうしても人権を制約する要素があるというのは、間違えない。各分野で連携のための番号を付そうというのが根本の発想だ。しかもそれは、民間が見えている番号ですから、その番号の下に大幅な名寄せをされてしまうことはありうることだ。
実際問題、生活保護に至った人の生活分析をして、政策に反映するといったことが議論の中で、出てくることが可能になる制度。それも見えている番号によって民間でも同じことがされるリスクがある。そういった人権制約の問題がでてくるのであれば、番号制度の目的が何であるのか、きちんと考えなければいけない。それは大綱から見えてこない。
かつ、それを実現する手段が必要最小限のものかというと、議論しなければいけない。現在でもたくさん個人情報が利用されていて、分野ごとに番号も付されていて、活用されているので、今の段階で個人情報保護機関を設けて、どういう問題があって、何をすれば問題が解決するのか、そういうことを先に考えるべきだ。
狭い分野の中でも、連携してやれることがたくさん出てくる。その前に共通で情報が全部つなげられるような番号を、もってくる必要はないのではないか。
この制度を、いきなり社会保障制度の充実ということで論じるのは、この範囲では誤りだ。
そういう効果が確実にあるのではなくて、それはそれで、こう利用していくという議論がなければ、そういう効果を見越して制度に賛成することはできない。
その番号の下でどこまでの情報が扱われるか、わからない範囲では、経済的なコストも、リスクの面でもきちんと把握できない。
それでも番号を使って情報を管理していこうとするのであれば、重大な人権制約になることは避けがたい。
それでも番号制度が必要なのかというのが、私の根本的な疑問だ。
番号制度はナチスまた参加者との質疑で空気が一変、「番号制度はナチスの人権侵害と変わらない」という発言という発言や、「今回の震災でも住基ネットがまったく役にたっていない」、「いくら第三者機関や法律を作っても、一旦情報が漏洩したら、取り返しがつかない」など、番号制度に対する疑問や批判が相次いだ。
司会の埼玉新聞編集局次長は「共通番号のことは、一ヶ月半くらい前に初めて知りました」という体たらく。
政府側は、平野弁護士や会場からの批判や、十分応えられないまま閉会したことが、番号制度の実態をよく表している。